1964東京五輪で金メダルに輝いた東洋の魔女・日本女子バレーボールチーム。
三帆舎では、チームのエースだった谷田(現姓・井戸川)絹子さん執筆の『私の青春 −東洋の魔女と呼ばれて−』を制作。2018年秋に発刊しました。
※2020年12月4日 谷田(現姓・井戸川)絹子さんが急逝なさいました。
こころよりお悔やみを申し上げます。
実はお亡くなりになる少し前に、週刊新潮のリモート取材を当編集室にお越しいた
だき、お手伝いさせていただきました。とてもお元気そうでしたのに本当に驚きま
した。本書の制作時から、また出版後も何度もお会いし、その温かいお人柄とユー
モアたっぷりのお話の数々、本当に魅力的な方でした。
素敵な出会いをいただき、心から感謝いたします。 三帆舎 平井由孝
週刊新潮記事はこちらでご覧いただけます。
東洋の魔女・井戸川絹子さん逝去 11月に語った「鬼の大松」の真実
50年以上前、日本中に歓喜の渦を巻きおこし、世界中を驚かせた魔女たちがいました。
1964東京五輪で金メダルに輝いた日本女子バレーボールチームです。
当時のエース、谷田絹子さんは、若い人や子どもたちにもっと「東洋の魔女」のことを知ってほしいと、そのころのエピソードをまとめた原稿を執筆。
谷田絹子著『私の青春 −東洋の魔女と呼ばれて−』は以下の書き出しで始まります。
「1964年の東京五輪から56年ぶりに、また東京で五輪が開催されます。今、私は三人の子ども、7人の孫に恵まれ、週に何回か若いお母さん方にバレーボールの指導をしています。
大阪府池田市、里山のふもとにあるパッチワーク作家の森山百合子さんのアトリエに通い、パッチワークを縫いながら、森山さんと話すのはいつもバレーボールにまつわること。当時の楽しかったこと、苦しかったこと、メンバーのこと、大松監督とのやり取り……。そんな私の話に笑い転げていた森山さんがある時、
『こんなおもしろい話を私一人で聞いているのはもったいない。誰もが経験出来ないことよ。マスコミで紹介されたエピソードは、とても綺麗にまとめられているけど、その裏側では東洋の魔女たちがこんな青春を送っていたなんて。ぜひ本にして残しましょうよ。そして今の若い人たちにも知って頂きましょうよ!』
この一言がこの本を書き始めるきっかけになったのです。」
こうして東洋の魔女たちの活躍や彼女たちの青春の日々を、今の時代の人たちに伝える本の制作がスタートしました。
東洋の魔女をご存じの方は、「鬼の大松、地獄の特訓…」というイメージが浮かぶかもしれません。それほど厳しい印象の強かった大松監督ですが、魔女たちは監督のことが大好きだったとか。決して「鬼」ではなく、監督と選手たちは固い信頼関係で結ばれた家族のようなチームだったのです。
監督と魔女たちの関西弁での愉快なやりとり、秘密兵器・回転レシーブ誕生秘話、海外遠征での苦労やこぼれ話、魔女はなぜ強かったのか……。そして金メダルへの挑戦。
当事者だからこそ語れる、ユーモアと温かいエピソードがいっぱい詰まった本になりました。
(谷田絹子さん所蔵の東京オリンピック金メダル)